Tuesday, September 12, 2006

印象派

フランス語の授業、とても楽しいです。先生が Language department の専門の先生のせいか、教え方も一定で非常にわかりやすい。また、クラスルームの授業だけではなくフランス文化を知る課外授業も1週間に一度あります。これは自由参加なので私はいつも不参加ですが(パリから通うのは面倒くさい、お金がかかる、ロイドの世話ができなくなるなどの理由から)、いつもその課外授業の前にフランスの文化、歴史を少しクラスルームで教えてくれます。

今週は印象派の画家、モネについて。学校から10キロほど離れたところにモネの家があり、どうやら明日皆はバスで行くそうです。

これまでアメリカやヨーロッパを旅行した際、訪れていた美術館で何度もモネの作品に会いましたが、これまでどういった背景があったのか全く知りませんでした。なので今日の先生の話は非常に興味深かったです。

モネら印象派が確立したのは1850年。丁度、フランス革命が続いたころで、民衆も変化を求めていた頃です。それまでは「アカデミック」という芸術スタイルが主流で、芸術をするには学校に通い、「いい」作品をある規則にのっとって作るというものだったそうです。画家で言うなら、「肖像画」「神の絵」など。それ以外はご法度。たとえば裸の女性を描くのも、「神」であるならいいけれども、「普通の女性」「娼婦」なら禁じられていました。

そんな中で歴史も後押しをし、より自由なスタイルを求めたのが印象派のグループです。モネの最初の作品のタイトル(英語)は Impression of Sun Rise。このタイトルから、印象派 Impressionist と呼ばれるようになったそうです。

印象派の特徴は、光、雰囲気、天気。抽象的なスタイルのなかに、これまでに許されていなかった一般市民や動物などをのびのびと描いています。グループの中にはセザンヌ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャンなどが名を連ねます。

ただこうした画家たちは本当に貧しかったようです。当時、印象派は画期的なスタイルで、市民や絵画を買うブルジョワ達には斬新すぎました。また、アカデミックスタイルではなかったので、オフィシャルな展示会もできず。ゴッホにいたっては生涯を渡って売れた絵は一枚。そしてその一枚も彼の担当医が情けで買ったとか。

生活するにもお金がなかったので、パンや食べ物と絵を物々交換していたそうです。受け取った店主にもちろん絵の価値はわかりません。ましてや、モダンすぎる絵画。納屋や外に放置され、何枚もの絵が滅びてしまったのです。

唯一このスタイルを認めていたのが Durand Ruel という画商。パリで開いた展示会では誰一人として買う人がいなかった印象派の絵。ところが、NY、ロンドンでは大うけでみんな高額で買いあさったようです。かくして「安価で仕入れ、高価で売る」というルートが確立されました。が、もちろんフランスに居る画家達はそんなことは知りません。貧しいまま、生涯を終えたそうです。印象派というすばらしいスタイルを世界中のどこの国もが認めたのに、フランスだけが認めなかった。そのため、彼らの絵は海外の美術館に多く埋蔵されているそうです。

なるほど。だから海外でよくモネの絵に会ったのね。

(ちなみに、フランスでも数十年後に印象派を認めるようになったそうです。)

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